研究課題/領域番号 |
21530860
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
教育学
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研究機関 | 四国学院大学 |
研究代表者 |
元井 一郎 四国学院大学, 文学部, 教授 (90239575)
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連携研究者 |
尾崎 公子 兵庫県立大学, 環境人間学部, 教授 (90331678)
住友 剛 京都精華大学, 人文学部, 准教授 (80340511)
広瀬 義徳 関西大学, 文学部, 准教授 (90352822)
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研究期間 (年度) |
2009 – 2011
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キーワード | 教員処分 / 勤評闘争 / 地方教育行政法 / 教育委員会 / 標準定数法 / 内務省 / 教育政策 |
研究概要 |
本研究は、1951年の講和条約発効以降の教員処分に関する政治社会構造の観点から分析検討を行なったものである。研究の過程において、私たちは当該時期を、1956年を画期として前半期と後半期に区分した。画期を1956年に設定したのは、後述するように「地教行法」(地方教育行政のための組織運営に関する法律)の制定を機軸とする戦後地方教育行政制度の変容と新たな構造構築の基点であると考えたからである。 前半期は、占領政策終結後の教員処分の構成を当時の政治経済構造との関連において検討を行った。周知のようにこの時期は、東西冷戦を背景に政治的な教員処分が実施されている。こうした動向は、占領期における処分構造と同様であり、主要な処分手法として教員公務員の分限処分が多用されていた。こうした構造の史的展開を通じて、戦後の行政組織は、戦前的な組織の再編を実行し新たな組織編成を行ったのである。まさに、地教行法は、新たな地方教育行政の組織実態を反映する法的な画期だと指摘できる。もう少し行政組織内的な編制で敷衍すれば、戦前の内務行政とそれを掌握する内務省的な教育行政、とりわけ教員支配を、内務省解体後の新たな行政組織の中で確立したことを意味するのである。指摘するまでもなく、内務省的な支配編制は、単に強権的支配だけでなく、経済財政構造に立脚する効率的な支配構造をも意味する。まさに1956年は、こうした内務省的支配の構造が、より経済財政構造と、換言すれば大蔵省的な財政配分を機軸に中心を異動させる画期であると指摘できる。したがって、本研究における歴史区分としての後半期は、そうした財政構造を機軸とした新たな教員の支配構造を、そして教員処分を実行した時期といえるだろう。こうした地方教育行政の変容を例示する事件として、佐賀県教組事件を挙げることができるだろう。本研究の視点からいえば、1956年の「地教行法」(地方教育行政のための組織運営に関する法律)の制定から1958年「標準定数法」(公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律)制定に至る過程、つまり戦後教員処分体制が地方教育行政の中心である教育委員会を基軸に新たな体制を構築する過程に重複するものである。その意味で、佐賀県における県財政逼迫にともなう教員馘首あるいは給与削減という教員処分の実施過程は、その実施における行政的政治的背景が大きく作用する。その後、勤務評定政策の実施の前段となる佐賀県の教員処分に係る実施体制は、偶発的に構築されたものではない。少なくとも、県教委教育長人事などを概観すれば、文部省を中心とする地方教育行政体制の構築という政策意思が概観できる。今回の研究期間で実施した、高知県の勤評闘争に係るインタビューや佐賀事件の当事者へのインタビューを通して大きな史実調査における成果を得た。さらに言えば、こうした教員処分体制の構築は、戦前の内務省が支配・所管していた地方教育行政を文部省が肩代わりする体制への転換に係って実行されたと指摘できる。こうした点は、他の都道府県における教員勤務評定をめぐっての闘争に関する調査を実施し、改めて立体的な検討が必要であることが課題として明瞭となったと指摘しておきたい。
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