戦後国語教科書史において、検定初年度(昭和23年度)の検定は、その後の検定国語教科書の編纂・発行に大きな影響を与えた。本研究は、その昭和23年度の検定の実態について、米国立公文書館(NARA)に所蔵されているGHQ/CIE文書を調査、分析・考察することを通して、GHQ/CIEの検閲の実態を明らかにすることを目的としたものである。 戦後教科書検定制度は、波乱含みの中でスタートした。検定は、文部省の検定審査会による検定、GHQ/CIEによる検閲の二段階で実施された。前者で合格しながら、後者で不合格となる教科書が頻出した。最終的にGHQ/CIEの検閲に合格して『昭和24年度使用教科書目録』に登載された国語教科書は、小学校―3種、中学校―2種、高等学校―なし(次年度開始)という厳しい現実であった。 GHQ/CIE文書の中に、Pauline Jeidy(国語教育担当官)からK. M. Harkness(教科書局長)に宛てた文書(1949年5月5日)を見いだした。検定初年(昭和23年)度の実態を受けて、検閲の結果(感想・意見等)を上申したものとして貴重である。 ○子どもに対する先生や親の接し方(馬鹿呼ばわりしたり強制的に作業させたりして、人権を無視したり強権的であったりする)。○子どもたち同士でも、互いに侮蔑的な言葉を言ったり、互いに馬鹿にし合ったりする。○子どもが老人の振る舞いを嘲笑する。○勝利賞を多くして競争心をあおる。○差別(田舎と都市)する。○生物(動物・植物)の損傷など。 全体的に見れば、いじめや虐待、暴力や誹謗・中傷につながる言動にノーが突きつけられている。民主的・平和的な人間の育成に向けて、具体的な示唆が行われている。教科書原稿の記述から、問題的な部分を抽出していったものと思われる。GHQ/CIE側の検定(検閲)の具体的な観点(項目)の典型として大変に興味深い。
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