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2009 年度 実績報告書

国会議事堂の建設地決定の経緯に関する研究

研究課題

研究課題/領域番号 21560551
研究機関東京大学

研究代表者

清水 英範  東京大学, 大学院・工学系研究科, 教授 (50196507)

キーワード国会議事堂 / ベックフン / 官庁集中計画 / 都市計画史 / 新聞報道
研究概要

平成21年度においては、前年度までに行ってきた関係史料や新聞・雑誌記事に関する予備的な調査を拡充、徹底した。予備調査の成果も含め、これまでの主な研究成果は以下の通りである。関係史料の調査については、まず、エンデ・ベックマン事務所がベックマンの来日(明治19年4月末)前に日本政府に送った書簡(一部は既存研究で翻訳済み)を改めて全文翻訳した。その結果、同事務所は、官庁や議事堂の建設候補地域について、等高線が描かれた地形図を用意しておくように要請していたことが分かった。ベックマンが東京の地形に強い関心を寄せていたことを示している。また、議事堂の建設地を永田町とすることが閣議決定されたのは明治20年4月と言われるが、明治期の公文書を詳細に調査した結果、これを裏付ける史料は発見できなかった。ただし、明治20年4月9日に臨時建築局が内閣に対し、日比谷練兵場に仮議事堂を建設するための予算の追加を建議していることが分かり、議事堂の建設地は、少なくとも4月9日以前に日比谷練兵場以外に決定されていたことが明らかになった。新聞・雑誌記事については、時事新報、讀賣新聞、東京輿論新誌の明治19年~20年の記事を網羅的に調査した。その結果、ベックマンの来日以前の記事では、そのほぼすべてが、議事堂は日比谷練兵場やその付近に建設するとの伝聞を報じている。一方、来日以降では、永田町に建設することが決まったとする伝聞記事が圧倒的に多くなった。なお、東京輿論新誌の明治19年5月19日号にベックマンの意見を紹介する記事があり(一部、既存研究でも紹介がある)、それによれば、ベックマンは、永田町の利点を挙げ、議事堂の敷地は政府が決めている日比谷ではなく永田町になるかも知れないと述べている。これらの事実から、ベックマンの意見が議事堂の建設地決定に大きな影響を及ぼしたと言って間違いないと考えられる。

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公開日: 2011-06-16   更新日: 2016-04-21  

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