研究概要 |
昨年度に引き続き,歴史的鉄筋コンクリート造建築物3棟(山陽小野田市太平洋セメント株式会社小野田工場敷地内)のうち主として1棟(修繕工場)を対象として,追加調査を行った。 修繕工場は,1911(明治44)年から6ヵ年計画で行われた工場拡張の一環として最初に建設された鉄筋コンクリート造(以下,RC造と記す)である。設計者を確定するまでの資料は見いだし得なかったものの,今回の調査によりドイツで鉄筋コンクリート構造を学んだ同社四代目社長笠井真三(1873~1942)のもとで社内に特設された「臨時工事掛」が行ったと考えられること,ならびに同工場(16スパン)は,第一期工事が東部分(4スパン),第二期工事が中央部分(7スパン),第三期工事が西部分(5スパン)であることが新たに判明した。 第一期工事部分では,鉄筋探査機(S社)による配筋状況を探査により縦方向の四隅には幅広の強い反応が,横方向は600mm間隔で反応が見られたことから,縦方向には鉄骨材の利用が想定された。 第二期工事部分の西側3スパン(9~11スパン目)は2階建てである。実測よると1スパン4.65m,全体では32.55mであり,スパン・面積とも資料と合致した。 第三期工事部分では工事中の写真が残されており,これによると撮影された1911(明治44)年8月の段階では鉄筋が立ち上がり同年12月に竣工したとされる。 また昨年度と同様に日比忠彦著「鐵筋混凝土の理論及其應用」を対象として,今年度は様式に対する算定法と構法の記述が整っている床スラブに焦点を絞り黎明期の様式への構造計算の適用について調査した。 その結果,当時の様式は構法と算定法との組合せによって構造計算が可能であることが示唆された。また,構造計算に際し同一の様式であっても年代によっては異なる算定法を適用している可能性が示唆された。
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