研究概要 |
京都大工頭の中井家は、江戸時代に五畿内及び近江の6か国の大工を支配し、同国内における公儀造営の設計・施工を家職としていた。近世を通して上方の建築界を主導した中井家の解明は、近世建築史の重要な研究テーマである。本研究計画では、中井家の当主である中井正知氏の所蔵資料を整理・編集し、その成果に基づいて、寺社における公儀作事の実態を、中井家と中井役所、寺社方、大工組の3つの側面から解明することを目的としている。 中井家資料の整理については、前年度に作成した7,567点の資料目録をもとに、文化庁が編集した目録によって、平成22年6月に「大工頭中井家関係資料」の名称で、5,195点が国の重要文化財(歴史資料)に指定され、研究代表者が館長をつとめる大阪市立住まいのミュージアムに収蔵庫に保管されている。 公儀寺社作事については、大坂の陣後に復興された大坂の寺社について、四天王寺と住吉大社を事例に検討した。その結果、大坂の陣後の元和年間に復興された四天王寺の伽藍は、中井家2代目の正侶と後見人の中井利次が差配し、配下の大工棟梁を派遣したことが明らかになった。また住吉大社に関しては、明暦2年の遷宮で、中井家3代目の中井正知が大工を勤め、配下の棟梁・茂左衛門を大坂に派遣し、設計・見積を担当させ、実際の工事は大坂の大工・新左衛門が行っている。宝永6年は大坂御大工の山村与助が大工を勤めており、与助は翌年に中井家4代目の正豊を名乗って、中井家を相続している。すなわち、江戸時代初期の大坂の代表的な建物、大坂城、四天王寺、住吉大社の建築は、中井家の2代正侶、3代正知、4代正豊が深く関与していたことが明らかになった。
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