この研究では、現地調査による実態把握を基に、屋台の架構形式の分析を行い、関東に展開する彫刻屋台の建築技術の特質を明らかにすることを目的とする。本年度は、昨年度に引き続き旧日光例幣使道玉村宿の屋台、前橋地区の彫刻屋台を実測により記録した。 結果、彫刻屋台の系譜を探る上で有用な資料を得た。具体的には、安政5年(1858)に玉村五丁目屋台、翌6年(1859)に六丁目屋台が製作され、明治に入ると角淵堀東組屋台が出現した。大正6年(1917)には宿内を屋台行列が巡行した。いずれも芸屋台であり、床から上部を旋回させる架構をもつ。この旋回方式は、屋台の正面と背面の向きを変える役割と同時に、街道を直線的に曳行される屋台に動きを与え、祭りに華やかさを加える演出装置でもあった。この架構は周辺の屋台にも影響を与えたとみられ、屋台の四周全面に提灯を付け回転させる飾り屋台が登場する。他方、利根川右岸の前橋元総社についても踏査し、前橋祗園祭礼屋台とは異なる架構形式をもつ屋台の存在を確認した。木小屋に眠っていた車輪や土台などの部材を引き出し組み立てたところ、元総社の各屋台は張出床上に管柱を立てて軸部を組むものであった。土台から床梁に掛けられた斜材が腰組側面を舟形にみせている。つまり、通し柱を立てず舞台の規模拡張を可能とした架構形式であり、明治期の製作と推測できる。利根川左岸の水不足地区の集落に展開した幕末期の雨乞い屋台とは異なり、彫刻装飾を多用しない。仮設の組立手法の点でも簡略な架構となっている。
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