本研究は大磯町所蔵歴史的公文書を用い、近代大磯の別荘建築の様相を詳細に明らかにすることを目的とするものである。最終年度である本年度においては、所有者属性、設置年代、立地などによる別荘建築の特質を明らかにすることを試み、さらに、他の別荘地との比較検討から、大磯の別荘建築が日本近代別荘史、住宅史の中でどのような意義を有するかを導き出すことを目的に研究をすすめた。 まず、大磯においては、明治期には華族や政治家、財閥などが別荘を構えたことが知られるが、大正期、昭和期には、実業家や軍人、学者などより幅広い層が別荘を設置し、また、明治期以降の別荘所有者も相続などを経ながら継続して所有し続ける例が多くみられた。次に、別荘建築の様式はいずれの所有者の場合にも、また、いずれの時期においても圧倒的に和風建築が多く、関東大震災後においても洋館、もしくは洋館を並置する別荘建築は極めて限定的な事例であることが判明した。次いで、別荘の立地について詳細に検討すると、西小磯、東小磯の海浜には著名な所有者による大規模別荘が継続して営まれており、一方、大磯、高麗では山腹や山裾にも大規模別荘が立地した。大磯の場合、別荘の立地として明治中期から一貫して支持されたのは海浜だったといえる。別荘建築の規模は多様であり、伊藤博文や鍋島家別荘など200坪を超える別荘がある一方、20坪程度の別荘建築も多く見られ、町中心部に設置される別荘は概ね小規模である。 大磯の別荘建築の大きな特色は、すでに述べたように、時期、所有者、立地にかかわらず、和風建築が支配的である点にある。高原別荘地である軽井沢においては洋風別荘が多く確認されている。また、同じ海浜の別荘地である葉山においても、決して多くはないものの、洋風別荘建築が一定の割合で存在している。こうした他の別荘地と比較し、大磯においては戦前期を通じて別荘建築として和風建築が採用され続けたことが明らかとなった。
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