本研究は、古代東アジアにおける大型門の特徴と系譜を建築的観点から明らかにすることを目的とする。初年度である本年度は、(1)各種報告書・文献などに記載されたデータの収集、(2)大型門に関する遺構の実見・調査、の2点をおもに行った。(1)では、各国の発掘調査報告書を中心に情報収集を行い、一部は平面図などの図面、建物規模、基礎構造、立地などの詳細について、データ化作業を行った。(2)では、広く大型門の遺構を確認する目的から、日本と韓国のそれぞれにおいて門遺構・遺跡を調査した。まず日本では、城柵官衙遺構例として郡山遺跡・多賀城・秋田城・払田柵・志波城・徳丹城の各遺構と、山城例として岡山県鬼ノ城、国分寺例として陸奥・備中国分寺跡などを調査し、遺構の詳細と立地、復元建築などについての知見を得た。城柵官衙遺構における調査では五間門あるいは八脚門を正門とする点が確認されたが、同じ規模の門でも立地や遺構の特徴に違いも多く、各要素をどのように関連づけて検討するかなど、今後に向けての有益な示唆を得た。また、その復元建築には楼造が多いが、防御施設という先行イメージが復元計画に影響を与えた可能性が高いことも推測された。鬼ノ城では八脚門を正門としているが、門の内外で地盤面の高さが大きく異なり(「懸門」構造)、門の利用形態を知る上で注目された。次に韓国では、現存する門建築のうち、江陵客舎門(高麗時代後期)と清平寺廻転門(16世紀中頃)について調査した。前者は韓国で最古とされる八脚門であり、後補材が多いものの、エンタシスの強い柱や木割の太さなど、古代的な要素を多く認めることができる点で重要である。後者は李朝時代における翼工系の小規模な門建築を考える上で重要な遺構といえる。
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