癌細胞が分泌するタンパク質分解酵素、マトリックスメタロプロテアーゼ(MMPs)は癌の増殖および浸潤、転移を支えることから、癌治療の有望な標的分子である。しかし、従来開発されてきたMMP阻害剤は特異性が低く、様々な副作用を示し、それらを抗転移剤として開発することは困難を極めた。本研究では、私達が見出した個々のMMPに特異的に作用する生体分子を応用し、副作用の極めて少ない癌治療薬の開発をめざす。本年度はβ-アミロイド前駆体タンパク質(APP)に由来する10残基ペプチドインヒビター(APP-IPと命名)がMMP-2に対し、高い選択性を持つことに着目し、さらに特異性の高いインヒビター分子の設計を試みた。私達の以前の研究より、生体内のMMPインヒビタータンパク質であるTIMP-2の主鎖のNH2末端α-アミノ基を修飾すると、MMPインヒビター活性が完全に失われるのに対し、MMP-2に対する結合能は保持されることが分かっていた。そこで、今回、TIMP2のNH2末端にAPP-IPのアミノ酸配列を付加したところ、他のMMPに対する阻害活性は失われたのに対し、MMP-2に対しては強力な阻害活性を持つ分子になることが判明した。この融合タンパク質APP-IP-TIMP-2はMMP-2の合成基質水解活性を非常に低い阻害定数(Ki=3pM)で阻害するほか、MMP-2を分泌する癌細胞の移動やこの細胞によるIV型コラーゲンの分解を抑制することが判明した。癌細胞が基底膜を破壊して浸潤・転移する際に基底膜の主成分であるIV型コラーゲンの分解が重要になるが、APP-IP-TIMP-2はこの浸潤過程を抑止するのに有効な薬剤と成り得る可能性がある。一方、近年、MMP-2が血小板凝集を促進することが明らかになりつつあることから、今回設計した融合タンパク質は血栓症の予防薬として開発することも可能かも知れない。
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