本年度は、論文執筆(1本)と学会報告(1本)を行なった。論文においては、朝鮮農民の貧窮化への対策として、朝鮮総督府が1920年代後半から30年代にかけて実施した普通学校(初等学校)卒業生への個別経営・生活指導にかんする分析を行なった。朝鮮農民の貧窮を農民に対する「啓蒙」によって解決しようとしたこの政策の、政策としての無効性を強調した。学会報告においては、植民地朝鮮の農村金融組織である金融組合を主題とした。金融組合は、総督府の監督と支援の下で農民保護を目的に整備された金融機関であった。報告においては、「安全第一」を経営目標とする金融組合と組合員(朝鮮人農民)との間での信頼関係の欠如ゆえに、農民が欲する資金融通が不十分であり、農民の生活と経営の安定にとって有効な組織とはなりえていなかったことを強調した。さらに、戦時期においては、戦時統制の末端機構として、供出や強制貯蓄を通じて農民を収奪する役割を果たしたことを指摘した。 上の二つの論文・報告を通じて、朝鮮農民が植民地的経済構造のもとで没落・窮乏化の度を強めていったこと、朝鮮総督府の農業政策はその傾向を緩和するという点でまったく非力であったことを明らかにし、ひいては、1930年代及び戦時期において日本や「満洲」に大量に流出してゆく前提条件の一端を解明した。解放後の朝鮮半島への引揚げと引揚者を受け止める朝鮮農村社会の側の状況を考察するうえで、有用な分析であると考える。
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