本研究の最終年度としてフォン・シーボルトの生地であるヴェルツブルグで調査した。明治時代に多くの日本人医師が留学したベルリンにシャリテ医学史博物館と森鴎外記念館をたずねた。国内の医史跡として、吉田富三について福島県の吉田富三記念館で調査を行った。シーボルトは、江戸幕府から追放を受けたが、オランダへ帰国後ヨーロッパに日本学を根付かせたことの功績はおおきい。シーボルトのヨーロッパにもたらした日本資料が厖大であり、それがヨーロッパ各地に分散保存されていることの背景を知ることが出来た。シャリテ医学史博物館では、日本人留学生の研究業績の評価が世界の医学史の中に確実に位置づけられている。また森鴎外記念館がベルリンに東西冷戦期を越えて存続してきたことの意味も日本のヨーロッパとの交流史としては大きな意味を持つことがわかった。戦争末期に『吉田肉腫』を継代した吉田が終戦後に国語審議会委員として漢字文化の継続を主張したことにより現在の日本語があることは医学者の教養が日本の歴史の中で貢献してきた事例といえる。 五年間の研究の結論は、医療における日本社会の連続性は医療者の広い意味での教養により支えられてきたことであり、世界から孤立した時の日本で基礎科学を西洋から学ぶことに果敢であった先人を評価する。 成果報告として『医療看護研究』に「アメリカの医学図書館に所蔵される日本の医書について」を掲載した。第114回日本医史学会総会にて「Leiden 大学に所蔵されるレメリン解剖学書2書と『和蘭全躯内外分合図』について」第78回日本民族衛生学会総会にて「日本の予防接種法の歴史的問題について」を発表した。第10回医療看護研究会にて「日本の医療思想史と予防接種史」を行い、順天堂大学医療看護学部教授退任講演として「日本近代医学の祖となったヨーロッパ医学-英国、オランダ、ドイツの医史跡と博物館で考えたこと」を行った。
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