先天性無痛無汗症(CIPA)の原因は、チロシンキナーゼ型神経成長因子受容体TrkAタンパク質をコードする遺伝子NTRK1の機能喪失性変異である。胎児期に神経栄養因子のひとつである神経成長因子(NGF)の受容体の機能が障害される。このため、NGF依存性ニューロンの生存・維持が障害される結果、温覚・痛覚を伝える感覚神経(ポリモーダル受容器)と交感神経ニューロンが欠損し、また中枢神経ニューロンの一部も欠損すると考えられている。 ソマティック・マーカー仮説(SMH)は、アントニオ・R・ダマシオにより提唱された脳科学理論で、ヒトの推論と意思決定は身体に支えられ、適切な判断を下すためには知性だけでなく情動が必要不可欠であるとする。ソマティック・マーカー(SM)は、判断をある方向に向ける一種のバイアス装置のようなもので、その基盤は情動のプロセスにありこれから生みだされた特別な感情である。痛みは不快な感覚・情動体験と定義されるが、SMの形成過程にも大きく影響する。SMHでは、心的活動は間断なく状態が変化する身体と脳との相互作用に依存していること、また身体を考慮せずに情動や感情も合理的意志決定も説明できないとされる。 これまで、SMHの基盤となる神経とNGF-TrkAシステムとの関連については言及されていない。本研究では、新しい生理学的感覚受容の概念で生体の恒常性維持に重要なはたらきをする内感覚(interoception)とSMHの関連について解析を行っている。CIPAへの分子病態をもとに、NGFが内感覚神経と交感神経の生存・維持に必須であることが判明した。また、NGF依存性ニューロンが、SMHにおいて身体と脳との相互作用に必須なはたらきをする神経ネットワークを構成することが示唆された。このことは、将来的には、痛みと恒常性維持との関連、さらに情動と慢性疼痛の関連についても新たな視点を提供する可能性がある。
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