平成22年度は、昨年度に引き続き、高野山の南山進流声明の伝承の実態調査、音源の収集、江戸期の南山進流声明および天野社舞楽曼荼羅供に関する史料の調査収集を行い、収集した資料に基づき楽理の分析に着手した。高野山の実地調査は4月に仏生会と大曼荼羅供についての現状調査を行い、高野山大学図書館所蔵の声明関係史料の調査を行った。12月には善通寺にて「天野舞楽曼荼羅供宝永之記」の原本調査を行った。2月には丹生都比売神社において、高野山南山進流声明の伝承者、高野山真言宗の雅楽関係者、丹生都比売神社宮司等と江戸期の天野社舞楽曼荼羅供に関する研究会を行った。また、6月には江戸期の天野社舞楽曼荼羅供の実態について芸能史研究会第47回大会で報告し、11月には昨年度に行った金堂修正会の現状調査および『紀伊続風土記』等の解釈にもとづき、高野山東京別院伝来の高野山壇場図が、江戸期の金堂修正会を描いたものと特定し、当該絵図を分析した結果と、南山進流声明の実地調査の成果の一端を東洋音楽学会第61回大会において報告した。楽理については未だ結論が出るには至っていないが、本年度検討した問題は主に次の二点である。一は南山進流声明の基準音についてである。江戸期の高野山で度々刊行された『魚山〓芥集』や現在の仮譜を作ったといわれる寛光撰『魚山私鈔略解』に見える楽理が江戸期において実唱といかなる関係にあったのかについての考察を行った。二は、天野社舞楽曼荼羅供に出仕した伶人は京都方、南都方、天王寺方が各々十人ずつであったことが既に判明しているが、実際の当該法要の楽では流儀の相違をどのように調整していたかという問題である。これについては江戸期の仮名譜の分析などを行いつつ考察を進めた。
|