17世紀後半から18世紀にかけて書かれた、「紅茶」やそれに関連する物をモチーフにした文学作品における「女性蔑視」を、19世紀後半のヴィクトリア朝と比較するというのは今年度新たに生じたアイデアであった。たとえば『不思議の国のアリス』において狂った帽子屋が主催するティー・パーティーのテーブルに到着したアリスには、そこが物理的・精神的に癒しを与えてくれる場所であるという期待が存在していた。また、ド・クインシーの『阿片常用者の告白』において、阿片中毒に苦しむ主人公は暖炉の前で紅茶を飲む冬の1日を人生で最も幸せな日として思い描く。紅茶を囲む家族団欒が「英国らしさ」の象徴であり、また、家庭的で女性的であるという価値を体現したのが紅茶である-これがヴィクトリア朝人が紅茶に対してもっていたイメージなのであろう。しかし、17世紀から18世紀においては、「高価な紅茶を買う女性」、「紅茶を飲むことによって時間を無駄に使う女性」は軽蔑の対象であった。当時の様々な文献や文学作品を読む過程の中で奇妙に思ったことは、「ティーポットに変身する女性」を描いた詩がいくつか存在していたことである。平成21年度の研究においては、紅茶をテーマとする詩が紅茶を飲む上品な女性たちを賞賛する形態をとりながら、実は、中世・ルネッサンスの時代から続く女性賛美の伝統の裏返しとしての「女性蔑視の伝統」を形成しているという結論に達したが、本年度は、さらに聖書で言及される「脆い器」としての女性にまで遡るという見解に至った。様々な不品行に対するお仕置きとして女性たちはティーポットに変身させられるのであるが、それは聖書のイメージを用いたものであり、「誘惑する女」としてのイブの伝統を引き継いだものであったのである。女性がティーポットまたは陶磁器に擬される作品は、文学的価値の低さゆえに国内外において今までほとんど研究対象にされることがなかったが、23年度はこのテーマをさらに追求してゆきたいと思う。
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