本研究は1.「中国の内なる異景」としての楚のイメージがいかにして形成されてきたか2.『楚辞』に代表される「楚歌」が、南方エキゾチシズムを象徴する詩歌形式となっていく過程の二点を明らかにすることを目標とする。22年度は昨年度に着手した研究をさらに推進し、次のような成果を得られた。(1)『楚辞』において特徴的な題材である「忠言を容れられぬ主人公の彷徨」の特質について昨年度行った口頭発表を論文として発表した(「研究発表」参照)。その過程において、『楚辞』作品自体で南方の風土や風物をことさら強調する描写は「橘頌」を除いてほとんど見られないことから、「南方」意識は必ずしも『楚辞』の本質ではないことに気づくに至った。この問題に関しては23年度中に口頭で発表する予定である。(2)地理書的内容を持つ伝漢代作の小説『海内十洲記』は、戦国期の空想的地理書『山海経』と同様に辺遠の神話的世界が描かれるが、その文体はむしろ漢代の辞賦のスタイルを借りて、仙道にのめり込んで失敗した武帝の物語に換骨奪胎したといえるものであることを明らかにし、口頭で発表した(「研究発表」参照)。(3)諸書に引用されて残っている、先秦期の「歌」とされる作品の中には、『史記』に引用された伯夷の歌のように、中原の人物の歌でありながら『楚辞』と形式が近いだけではなく、内容も君主に容れられぬ忠臣が己の節操に殉ずるという共通点が見られるものがあり、中原の歌と南方の『楚辞』との距離は従来思われていたほど遠くはないことを明らかにし、口頭で発表した(「研究発表」参照)。 以上の3点の成果から、中国古典における南方エキゾチシズムの淵源は『楚辞』そのものにあるのではなく、漢代以降の辞賦文学や神仙思想の流行が『楚辞』にエキゾチシズムを見出だす要因になったのではないかという見通しが得られた。23年度には漢代から六朝にかけての詩歌・辞賦文学や志怪小説を精査することにより、『楚辞』や楚歌に対する意識の変容の過程を探り、本研究を完結させる予定である。
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