21年度に作成した基礎理論の見取り図を吟味し、それを文書化し、問題点を洗い出し検討することがこの年の最大の課題であった。幸い、見取り図に関しては計画を前倒し、昨年度、すでに文書化し、著書(『周縁学』)と紀要論文で公開したため、本年度は、21年度の実地調査で得られた資料を細かく分析していく作業を行なうことにした。鎌倉に関する資料収集のための実地調査は前年度に続き行なった。研究調査により、一つの仮説が生じた-我が国における「東西」という表象概念の成立は、ヨーロッパのそれと逆であり、鎌倉幕府の成立がこのことと大いに関わっているのではないか、というものである。すなわち、ヨーロッパにおいては「東」の表象学的優位性は、キリスト教の普及とともに逆転したが、我が国の場合、西の都に対する辺境としての「東(あずま)」の表象が逆転したのは、鎌倉幕府の成立によるのではないか、という仮説である。これを解き明かす一つの鍵を鎌倉時代に流行した『平家物語』を伝えた琵琶法師の伝説上の祖、景清と蝉丸に求めた。そこで最終的に問題となったのは、東を意味する「日向」、「亀が江の谷(鎌倉)」、「西の鎌倉」としての大津市の逢阪の関を結ぶ方位学上の問題であり、そのため、三つの地域を現地調査し、本研究全体の構想の中に位置づける作業を行なった。文学研究のテーマとして景清と蝉丸を取り上げる試みは多く、また文化学の問題としても、山口昌男が蝉丸に注目した例はあるが、これを鎌倉を視座に、方位学的問題にまで考慮した先行研究はないため、本研究の意義および重要性はあると考える。
|