縄文時代後晩期に九州に出現するクロム白雲母製の石製装身具が、東日本へ伝播・拡散する様相を把握するため、本州における当該時期の石製装身具の石材を蛍光X線分析器(非破壊)を用いて確認調査を実施した。本年度は、東海地方とヒスイの産地がある日本海側との交易が盛んな中部地方の調査を重点的に行った。その結果、静岡県西半までは当該資料を確認でき、以東の地域では当該資料がやや減少する可能性を把握した。中部地域では岐阜県で新資料を確認したが、長野県ではヒスイを重用し、クロム白雲母製品はは利用されていなかった。本州を東西に二分する中央アルプス地帯が、九州製の装身具主要拡散範囲(クロム白雲母文化圏)とヒスイ文化圏の一つの大きな分水嶺である可能性が高まった。弥生時代に始まる水稲農耕の東進は近年、想定より早い時期にある程度東日本まで達していることが判明しつつある。前時代の、クロム白雲母製品の共有・流通が農耕東進の基盤の一つと考えられる。 製作に関しては、仕上げや穿孔工程を残した製作途中のもが少数中国地方で確認されていたが、原石加工から始まる本格的な製作遺跡はこれまでに四国に1例確認されたのみであった。しかし、新たに京都府で玉製作遺跡を確認できた。この遺跡は九州での製作開始期の遺跡と非常に近い年代である点が注目される。石材は成分的にはほぼ同じであり、所見はやや異なるが、類似する石材で同様の種類の石製装身具を作成しており、九州の技術者が係かわる遺跡か(九州から石材を調達)、同じ玉文化の中でまったく同時的に存在した遺跡か(石材は近隣から調達)新たな課題となる遺跡の発見となった。 朝鮮半島における資料調査では、複数の遺跡の石製装身具を実見したが、クロム白雲母製品は確認できなかった。当該時期の石製装身具については数量・盛行の時期の相違から日韓の関連はないと想定していたが、それを裏付ける結果を得たと考える。
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