本研究は、近世後期における江戸庶民の旅を費用の調達と必要経費の側面から検討しようとするものであるが、江戸庶民の旅の実際を伝える「旅日記」は諸々の事情により蒐集が困難な状況にある。そこで、旅日記の蒐集範囲を関東地方一円にまで広げ、当該地域の庶民の旅を比較対象として設定することで、江戸庶民の旅の特徴を捉えようと試みる。今年度は、まず関東地方に残された庶民の旅日記の蒐集作業を実施し、現在までに100編余りの旅日記を入手することができた。これらの史料に基づき、江戸庶民の旅の費用に関して江戸近郊地の庶民の場合と比較しながら検討を行なった。その結果、庶民が旅に出るには1日に1人400文程度が必要とされたが、江戸及び江戸近郊地の庶民の収入から推して、一部の富裕層を除けば彼らが旅費を個人負担で賄うことは難しいことがわかった。そのため、庶民は講員から募った講金を旅費として用立てる「代参講」に加入し、旅の必要経費を捻出していた。講組織の存在と併せて、旅立ちに際しては有縁の人々から「餞別」を貰い受ける慣習があったことも確かめられた。また、江戸庶民と江戸近郊地の庶民の間に生じた旅費の金額や使い道の違いを探ってみると、金銭面からみて江戸庶民の旅の方が江戸近郊地の庶民の旅よりも豊かであったことが明確となった。この他、近世後期における旅の費用を「歩行」の問題と関連付けた研究を行なった。すると、旅の履物たる草鞋は街道筋で比較的安価で販売されていたが、値段によって質が異なっていたことがわかった。また、商家の女性と農家の女性の道中における歩行距離の違いを各々の経済事情と絡めて検討した結果、農家の女性は途中で路銀が尽きてしまわないようになるべく先を急いだため、1日あたりの歩行距離が商家の女性よりも長くなる傾向にあったことが示唆された。
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