(1)代表的なインド医学書『チャラカサンヒター(以下CS)』『スシュルタサンヒター(以下SS)』において精神の病的状態に関する記述を比較検討したところ、以下の点が判明した。 (1)両者ともに身体に関する内容を扱う「シャーリーラスターナ」で同一ないし類似の用語を用いて多く記述されている。 (2)CSではやや価値的判断を含む「本来あるべき姿から逸脱してしまった状態」を「病的な精神状態」と位置づけ、「健康な精神状態」と対比させて提示しており、構造的類似を持つダルマ文献との関連がより強く想定される。 (3)SSでは価値判断を加えずに人格類型の分類名を列挙する体裁をとり、分類名は他の箇所でも適用されて臨床的な症状把握・描写に高い効果をもたらしている。 (2)「グラハ」概念の変遷について医学文献との関連について調査した。グラハは小児と成人とで別の分類があり、叙事詩『マハーバーラタ(以下MBh)』まで遡ることができる。 (1)小児病グラハはMBhの概念を踏襲しつつ、分類名称の追加・削除を繰り返す形で記述されており、医学文献では患者のより詳細な分類を意図していたと考えられる。 (2)成人グラハはMBhで「ウンマーダ」という病的状態を包含していたが、後に両者は区別されるようになった。 (3)『アーガマ(阿含)』と総称される初期仏教経典群を中心とし、苦行者に関する記述を憑依状態や幻聴体験との関連から考察したところ、以下の点が判明した。 (1)現代では精神障害に位置づけられるような状態・体験が古代インドでは宗教的理解のもとに受容・記述されている。 (2)古代インド社会では憑依や幻聴の位置づけ自体が現代とは異なっていたと考えられ、精神障害者が事例化しにくい状況が成立していた可能性が想定される。 以上の成果から、古代インドにおいて精神医学や精神障害は医学・医療以外の領域とも関連していた可能性が考えられる。
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