研究概要 |
埋蔵文化財情報を利用した高精度の地形発達史の構築を目指し,津軽平野中部と鳥取平野北西部の湖山池周辺において重点的な調査を実施した. 津軽平野中部においては,浅瀬石川扇状地に立地する前川遺跡(田舎舘村),岩木川の氾濫原に立地する稲村遺跡(五所川原市)の調査区において浅層堆積物を調査するとともに,遺跡周辺で地質ボーリング調査を実施した.その結果,同平野では10世紀前半に顕著な地形変化(完新世段丘面における蛇行帯の発達,デルタにおける河成堆積物の急激な垂直累重)が生じたことが分かった.蛇行帯を構成する堆積物からは多量のパミスが検出されたことから,著しい地形変化の要因として十和田平安噴火(915A.D.)にともなうラハール堆積物の流入が考えられる.こうした100年オーダーの地形変化が捉えられたことにより,沖積低地の地形発達が漸移的に進行したのではなく,時折発生するドラスティックな変化が地形形成に大きく影響することが明らかになった. 一方,鳥取平野北西部では,湖山池周辺に発達した開析谷群に立地する複数の遺跡(鳥取県埋蔵文化財センターが調査中)を対象として浅層堆積物の観察や珪藻分析を行った.その結果から,縄文海進最高頂期以降の海面変動と溺れ谷タイプの沖積低地の地形発達,湖山池の成立過程を考察した.縄文海進時には開析谷群は沈水し,溺れ谷が形成されるとともに,周辺には海水の影響の強い内湾が広がった.その後,溺れ谷は河成堆積物によって埋積されるが,その際,小規模な海進や海退が生じた。こうした現象は,当地域の相対的海面変動や湖山池の成立を反映したものと推定され,今後のさらなる検討を要する.溺れ谷は,約4,000年前までに河成堆積物によって完全に埋積され,湿地や森林が拡大するとともに人々の流入が始まった.
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