本研究の目的は、ハイデガー哲学とレヴイナス倫理学とを互いのに照らし合せながら、両者にふくまれる時間論の内実を明らかにすることであった。平成22年度は、この目的にかんがみ、ハイデガー哲学の批判的継承者であった九鬼周造による現象学的解釈学の成果『「いき」の構造』と彼の主著『偶然性の問題』および『人間と実存』のトリニティーを探求したうえで九鬼の時間論を明らかにし、ハイデガーが試みた時間現象の解明と対比して九鬼哲学の独自性を際立たせた。その要旨は以下の通りである。 「遇うて空しく過ぐる勿れ」。 『浄土論』を参照しながら、九鬼がその主著『偶然性の問題』を結ぶ一文に引いた言葉である。この言葉に集約される彼の哲学体系は、偶さかの出会いに結ばれた二人がともに存在することの意味を或る種の輪廻的時間-回帰的形而上学的時間-から了解すること、ここに重心がある。 では、そうした体系のなかで『「いき」の構造』を有機的に理解し、〈いき〉の具体相を明らかにすることは可能だろうか? こうした問いを立てるのも、『「いき」の構造』で描き出されていたのは「苦界」での邂逅から恋に落ちた遊女と町人の善美な共同存在だったからである。本研究では、上記の問いに答えるために、九鬼なりの仕方で「存在と時間」の関係を問うた論文集『人間と実存』で語られた形而上学的時間の観点から、軽快な〈いき〉と容赦なき偶然性との存在論的関係を解き明かしている。このとき、ハイデガーの超越論的哲学が部分的に九鬼哲学のうらに取り込まれる様子を確かめつつ、〈いき〉の現象学的解釈学が有する独自性を見極めた。この結果、偶然性の底が抜けるまで共同存在の意味を形而上学的時間のうちに希求した九鬼哲学にそなわる体系性の一端を提示しえたはずである。
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