研究課題/領域番号 |
21720002
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研究機関 | 弘前大学 |
研究代表者 |
横地 徳廣 弘前大学, 人文学部, 講師 (00455768)
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キーワード | 時間 / 倫理 / いき / 超越 |
研究概要 |
「遇うて空しく過ぐる勿れ」。『浄土論』を参照しながら、九鬼周造がその主著『偶然性の問題』(1935年)を結ぶ一文に引いた言葉である。この言葉に集約される彼の哲学体系は、偶さかの出会いに結ばれた二人が共に存在することの意味を一種の輪廻的時間-「回帰的形而上学的時間」-から了解すること、ここに重心がある。 では、そこに『「いき」の構造』(1930年)を加えて九鬼哲学を体系的に理解し、その具体相を明らかにすることは可能だろうか。こうした問いを立てたのも、『いき』で描き出されていたのは「苦界」での邂逅から恋に落ちた遊女と町人の善美な「共同存在(coexistence)」だったからである。 本研究では、この問いに答えるために、彼なりの仕方で「存在と時間」の関係を問うた論文集『人間と實存』(1939年)で語られた形而上学的時間の観点から、軽快な〈いき〉と有限的人間には容赦なき偶然性との存在論的関係を解き明かした。このとき、ハイデガーの超越論的哲学が批判的に継承される様子を確かめつつ、〈いき〉の現象学的解釈学が有する独自性を見極めている。 本研究の進行を示す。まず、ハイデガー『存在と時間』を中心とした思考圏に属する「超越」概念を光源にして偶然的邂逅の成り立ちを照らしつつ、苦界で二人が生き抜くための〈いき〉とはいかなる美的実存態か、これについて存在=善という哲学的観点から答えた。つづいて、苦界での偶然的邂逅に始まった恋仲が〈いき〉につらぬかれるとき、すべてがあるがままに肯定される運命愛へと二人が到達するプロセスをたどった。最後に、二人の共同存在の意味が了解される形而上学的時間が生起する仕組みを考察し、運命愛との関係を解き明かしている。 以上のように本研究では、苦界での共同実存を善美なそれへと二人が昇華させた〈いき〉の現象学的解釈学を考察した。この結果、偶然性の底が抜けるまで、共同存在の意味を形而上学的時間のうちに希求した九鬼哲学にそなわる体系性の一端を提示できたはずである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究の目的は、1:時間性の時熟(あるいは時間の時間化)、2:自己他者関係、3:世界の諸相という三者の有機的統一性を考察し、それによってマルティン・ハイデガーとエマニュエル・レヴィナスの哲学的思考が互いに照らしあう共通地平を《時間の倫理学》として提示することにある。こうした研究の遂行にさいして、九鬼周造によるハイデガー解釈/批判を手がかりに、「共同存在と時間」の相関性を問う哲学的思考の可能性を探る試みが併せて実行された。この結果、ハイデガー哲学における「単独者のエートス」とレヴィナス倫理学における「非対称性のエティカ」のあいだに広がる「余白」を、九鬼哲学における「いき」概念の観点から提示された時間論によって埋めている。
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今後の研究の推進方策 |
本研究では、《時間現象の倫理学的探究》という目的を達成するため、「共同存在と時間」の相関性をめぐる九鬼の哲学的思考を世界論の観点から考察していく。検討するテキストは、ひきつづき『「いき」の構造』、『偶然性の問題』、『人間と実存』である。これらの主要著作における軽快な〈いき〉と有限的人間には容赦なき偶然性との倫理的関係が、「終わりなき輪廻」という形而上学的時間の観点から読み解かれるさい、この読解は、尊重すべき徳が異なった「苦界」と「世間」との対比を通じて行われるわけである。道ならぬ恋で結ばれた遊女と町人が、終わりなき輪廻への意志を分かちもつときに苦界で織りなす共生の形をこのようにして浮かび上がらせたい。
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