本研究は、カントの「先入見」批判に関する議論を、ドイツ啓蒙主義のコンテクストにおいて検討し、その倫理学的意義を解明することを目的とする。 啓蒙主義は一般に、「先入見」(なかでも「迷信」)からの解放として特徴づけられるが、とくにドイツ啓蒙主義では、先入見の本質や原因、先入見の不可避性についての理論的研究と並んで、先入見の有害性やさらには有用性に関する実践的研究も盛んに行われた。現在では忘れ去られてしまったこうした「啓蒙主義的先入見論」の光の下でカントの先入見論を考察することによって、カントの啓蒙論のもつ現代的意義を明らかにしたい。 本年度は、「先入見の有用性」という問題を提起した1780年のベルリン・アカデミー懸賞問題について研究し、この懸賞問題の形成にフリードリヒ大王が大きく関与していることを明らかにした。そしてこの懸賞問題が『ベルリン月報』で議論された「啓蒙とは何か」という問いの機縁の一つであり、カントの啓蒙論の背景をなすものであることを闡明にすることができた。 こうしてカントの啓蒙論は、従来の研究で強調されてきた「自立的思考」や「理性の自律」を提唱する「自己啓蒙」という側面ばかりではなく、「人民啓蒙」の視点から先入見の有用性を批判するという重要なモチーフも内包していることが判明になった。つまりカントの啓蒙論は、たんに理性の自律性を各人に説く道徳的側面だけではなく、先入見の有用性を擁護しようとするフリードリヒ大王の政策を牽制するという政治的射程も有していることが解明された。
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