本年度は、「ヒューム主義」に関して、メタ倫理学文献の収集と、現代倫理学の主要著作間の連関の繙きを実施した。系譜を描き出す方法として、現代の最新版ヒューム主義から、その依って立つ先行研究へと遡り続けて、19世紀終わりから20世紀初頭にかけての時期にまでその来歴を辿るという手法を採用した。 21世紀最初の10年間の「ヒューム主義」を規定したテーゼの原型をマイケル・スミスによる『道徳の中心問題』前後の定式化にみいだし、そこに含まれる「信念/欲求の心理モデル」、「適合の向き」、「実践理性の懐疑論」についてそれぞれの来歴を文献的に辿った。その結果、示唆された哲学史的解釈の萌芽的方向性は、現代倫理学における「ヒューム主義」の主たる起源は、ヒューム哲学にあるというよりむしろ、H.シジウィックらが取り組んだ19世紀後半の「実践理性の二元論」的課題や、合理的意思決定論を含む現代行為論である、ということ、および、現在とは異なる発展の可能性として、オースティン以降の言語行為論・言語コミュニケーションの哲学に連なる「ヒューム主義」がありえたのではないか、ということである。実際、文献的に明らかなのは、ヒュームの道徳哲学が英語圏の倫理学者たちによって注目され始めたのは比較的最近のことだということである。これらの知見は、ムーア以降、直覚主義、情動主義、指令主義などと辿って行く従来通りのメタ倫理学史の視座からは見えにくい思想連関であり、従来の「正史」を覆すには至らないまでも、一定程度楔を打ち込む効果が見込まれるはずである。というのも、哲学史を重視しないメタ倫理学の思潮の中では、ある時点で強いインパクトをもった概念図式がそのまま過去へと外挿されて歴史観を変容させることが起こりやすく、その吟味には一定の哲学的かつ哲学史的意義があると思われるからである。
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