幕末期における「帝国日本」言説の展開を、蘭学者のみならず儒学者・国学者にまで対象を広げて検討することで、この言説が当時の日本知識人における自己認識-とくに自民族中心主義的なそれ-を形作ることに大きく寄与し、またそこにおける「帝国-王国-公侯国」というヒエラルヒッシュな国際社会理解や「自立の王国」に対置される東アジア冊封体制下に存在する自立せざる古典的な「王国」の存在が、朝鮮をはじめとした自己以外の東アジア諸国に対する近代日本の眼差しを形作ったことを明らかにした。 個別研究としては、古典に典拠を求めることの出来ない「帝国」という新奇な語を嫌った会沢正志斎における「帝国日本」理解を通して、彼の発言こそが幕末日本における「帝国日本」言説の方向性を決定づけたことを明らかにした。 またこの日本発の近代漢語である「帝国」が、東アジアに流布することで、これの対語として眠国」(例:中華民国1912年、大韓民国臨時政府1919年)という新たな語が誕生した可能性について指摘した。 儒学的文脈おいて「皇帝の国」を意味する「帝国」を自称し、そしてそれが複数存在することを承認することは、とりもなおさず華夷名分という儒学的秩序意識にもとづき形成された冊封体制からの離脱をも含むものであり、そこには明らかな世界像の転回を見ることができるのである
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