日本の朝鮮陶磁受容は、朝鮮総督府による植民地政策のもと、全国古蹟調査などの広がりとほぼ時を同じくして広がっていった。明治末の高麗青磁受容に始まり、昭和初期のいわば"朝鮮陶磁ブーム"とも言うべき時期には、在朝鮮の日本人および国内の文化知識人たちによって作品収集や展示が積極的に行われ、現地視察や作品鑑賞記が美術工芸雑誌にも多く掲載されるようになる。これは大正期に起こった中国陶磁受容とともに日本近代の陶芸家の作品制作にも大きな影響を与えることになった。そこで本調査研究では、日本における朝鮮陶磁の調査研究と当時の文化的評価、および陶芸家たちの作品制作の側面から、日本近代における朝鮮陶磁受容の新たな位置づけを行うことを目的としている。22年度の成果は以下のとおりである。 1.文献資料調査…韓国国立中央博物館図書室、ソウル大学校中央図書館、九州大学文学部図書館などで文献調査を行った。朝鮮陶磁受容の端緒となった高麗青磁受容に関する書籍や展観目録、在朝日本人によって執筆された朝鮮陶磁関連の雑誌文献、また京城帝国大学で教鞭をとった安倍能成の執筆書などの資料を中心に収集した。 2.作品調査…朝鮮陶磁受容の中心的存在と言える民藝運動の作家たちの作品調査とともに、同時代の日本作家による中国・朝鮮陶磁受容の在り方について比較調査を行った。国立近代美術館・工芸館などでは富本憲吉および帝室技芸員関連の作品調査および文献調査を行い、益子陶芸美術館、益子参考館、河井寛次郎記念館などでは冨本憲吉や濱田庄司、河井寛次郎らの作品とともに彼らの朝鮮陶磁コレクションの調査を行った。
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