本研究においてはこれまで、伝統音楽が19世紀中欧におけるナショナルな文化アイデンティティの確立にどのように寄与したかという問題を、とりわけ19世紀ハンガリー市民社会において、「国民楽器」ツィンバロンがどのように受容されたかというトピックを中心に考察してきた。非ロマの市民達がロマの楽師のツィンバロン演奏に一方で違和感を覚えつつも、教育メソッドや演奏スタイル、楽器の構造を彼らなりに西洋化・近代化することで、自分達の「近代的」かつ「国民的」な文化アイデンティティの形成にこの楽器を役立てていた様子が、そこからは明らかになった。また、ツィンバロンの受容の向こう側にある大きな問題として、そもそもロマの音楽文化を「ハンガリーの音楽文化」として受け容れるか否か、という点について当時のハンガリー知識人の間にある種のアンビヴァレンツがあったことも、次第に分かってきた。 こうした事柄を十分にふまえつつ、本年度ではまずツィンバロンと19世紀ハンガリーの女性運動に関する前年度までの研究成果をまとめ、7月にイタリア・ローマで行われた国際音楽学会の大会(IMS2012)で発表した(発表言語は英語)。さらに、11月には王立音楽院ツィンバロン科の学生原簿に関する調査結果をまとめ、京都で行われた日本音楽学会全国大会において発表を行った。19世紀末のハンガリーにおいて「国民楽器」ツィンバロンを演奏していたのは、むしろ女性や非マジャル系の人々のような、ハンガリー社会の「周縁」に位置する人々であることを、そこでは論じた。これにより、申請者は本研究において、二重帝国時代のハンガリーの文化ナショナリズム運動がいかに多様な社会階層によって支えられていたのか、その一端を明らかにすることができたと考えている。
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