本研究の目的は、フランス第四共和政期(1946-1958年)パリにおける芸術音楽活動状況を「被占領からの解放」という政治的・社会的観点から検証することで、文化活動を通した戦争(被占領)の記憶形成のメカニズムを解明する手掛かりを得ることである。本年度は、情報省の管轄下であったフランスラジオ局Radiodiffusion Francaiseにおける音楽政策の解明を目標とした。パリ解放直後から第四共和政成立直後の時期(1944~49年)を中心に史料調査・収集を行った結果、次の点が判明した。 この時期は教育的思想(音楽により大衆のモラルや嗜好の向上を目指す)に基づく音楽番組方針。「民主化/大衆化」「娯楽、気晴らし」を強調しながらも、方針の本質はヴィシー政権時代から変わっていない。 具体的方針では、Guignebert局長時代(1945年末まで)とPorche局長時代(1946年3月以降)に相違あり。前者が(排他的ではないが)フランス音楽の過去の栄光を強調したのに対して、後者は「質の高い」軽音楽の影響力に期待する形で大衆嗜好に歩み寄る改革を打ち出している。また前者は、ラジオの特性を活かした番組企画(詩と音楽の共同作業など)にて「新しい文化形式」(人民戦線内閣の芸術的展望の一つ)に期待していたのに対して、後者はラジオを純粋に「メディア」と捉えている。前者の時期には、粛清された一流演奏家に代わる新人の発掘やラジオ局専属合唱団員養成機関の新設など、新たな試みで芸術音楽の拡充が図られたが、後者の時期には芸術番組の予算が大幅削減、国立ラジオ放送オーケストラの団員の待遇改革が行われ、音楽家組合との間に軋轢が生じていた。 演劇分野における地方分権化とは対照的に、ラジオ放送(音楽)に関してはパリが活動の中心であり、地方よりも海外との交流(外国人指揮者の招聘、外国公演、外国との放送協定)が重視された。
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