中世芸能の中で、能以外の芸能についての研究は驚くほど進んでいない。これは、その殆どがすでに滅びてしまった芸能であり、資料的な限界があるためでもあるが、能がどのような芸能として成立したのかを明らかにするためにも、能以外の周辺芸能について研究を進めることは極めて重要である。 その中で、本年度は、これまで曖昧に捉えられることの多かった白拍子舞の芸態を明らかにした上で、その芸が、乱拍子芸を取り込みながら、曲舞の一種、幸若舞にどのように継承され、また、どのように展開して新たな芸能としての生命を獲得していったのかを具体的に明らかにした(「白拍子舞から幸若舞へ」)。これは、能が曲舞を摂取して成立しているにもかかわらず、曲舞の実態がほとんどわからない中で、曲舞の芸態について考える一つの方向性を示したものと言える。 こめ研究の際にも、九州大江に残る幸若舞のフィールド調査・分析が極めて有効だったが、それと並行して、中世芸能の姿を残すとされる各地の芸能のフィールド調査を進めてきた。これは、能のルーツである翁猿楽め成立期にぐ白拍子・乱拍子といった当時の流行芸能がどのように影響を与えていったのか、また、それをどのように切り捨て、何を目指して現在の翁の形になったのかを見極めるためである。本年は、乱拍子芸を残す奈良県上深川の題目立や日光の延年舞、長野県新野の雪祭り、愛知県田峯の田楽に残る古体の翁芸の調査などを行い、その詞章や芸態、全体の中での芸の位置づけなどから、白拍子・乱拍子の影響が徐々に明ちかにできつつある。その一方、呪師芸との関わりという観点がら新たに調査が必要な芸能も増えてきており、より丹念なフィールド調査と分析を継続する中で、翁猿楽成立の考察を丁寧に進めていく所存である。
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