従来の芸能研究の中で最も不足してきたものの一つが、滅びてしまった芸能の研究である。能や歌舞伎など現存する古典芸能については研究が掘り下げられてきているが、そうした芸能の起源や生成プロセスを明らかにするためにも、消えていった多くの芸能について研究していくことは重要である.なぜその芸能が滅び、新しい芸能が生まれたのか、古い芸能の何がどう引き継がれ、どのように展開していったのか。芸能のダイナミズム、そして、日本において芸能がどのような意味を持っていたのかを捉え出すためにも、今はなき芸能と今に残る芸能との関係を、歴史事項としてだけではなく、その芸態、身体性も含めて考察していく必要がある。そうした大きな展望の中で、能の発生、とりわけ能の身体の発生について、白拍子と乱拍子という平安末期から鎌倉時代にかけての流行芸能の芸態に寄り添いながら考察しているのが本研究である。 その中で今年度は、能の舞の形成を考える上でも重要な白拍子舞について、「今様を歌いながら舞う」という一般に広まった誤解をただし、その芸態を明らかにしたこと、その誤解が『平家物語』のエピソードの誤読によることを指摘した点が一つの大きな成果である(「遊女白拍子と今様」)。白拍子舞は、乱拍子舞とともに猿楽能の形成にも影響を与えたと考えられるが、その芸態についてはよくわからないまま主漠然と捉えられてきた。そのため、まずは、それぞれの芸態について明らかにすることで、猿楽能の身体の形成について、より具体的に考察する道を開いた点が重要である。また、乱拍子舞め芸態とその身体性の実態と展開について、長滝の延年や黒沢の田楽などの民俗芸能のフィールドワークを精力的に行い、能の翁、特にほとんどこれまで注目されてこなかった千歳や三番叟の芸態と乱拍子の関わりについての考察を深めた点も(乱舞の身体」)、能のルーツである翁の発生を考える上で大きな意義がある。
|