データベース対象雑誌である、1951年から1970年までの『キネマ旬報』(キネマ旬報社)、『記録映画』(教育映画作家協会)、『映画評論』(映画評論社)、『映画芸術』(映画芸術社)、『思想の科学』(思想の科学研究会ほか)、『新日本文学』(新日本文学会)の雑誌を、現時点において確認のとれる年代、号数など、国会図書館、早稲田演劇博物館をはじめとし、探せるものすべてを収集した。 さらに『キネマ旬報』『記録映画』『映画芸術』『思想の科学』については、すでにデータベース化を完了している。特に『キネマ旬報』は大量の映画評論・批評が掲載されているため、本研究のデータベースにおいて、最も注目する点である。 初年度に行った4誌をデータベース化した結果、編集者・小説家・文芸評論家など、映画評論・批評をする人物がだれであったのかが明確となってきた。各誌においての「おかかえ」映画評論家・批評家とでも言うべき人物が顕著に表れてきた。 初年度は、データベース化とともに、映画評論・批評を収集し、それらをもとに評論・批評家を抽出し、彼らの書いた評論・批評を検証してきた。分類としては、先行文献である『現代映画論大系』(全6巻、冬樹社、1970年~1972年)から「戦後映画の出発」・「個人と力の回復」・「戦前からの映画監督たちの復活」・「日本ヌーベルバーグ」・「土着と近代の相剋」・「幻想と政治の間」である。その分類の根となるもの、さらには初年度においてデータベース化した映画評論・批評を検証してみると、第二次世界大戦に突入した日本の大衆のありよう、さらには戦争への悔恨への情が映画評論、批評に流れていることが解明されつつある。
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