本研究の目的は、戦後の日本映画における評論・批評を系譜だてることである。日本映画の評論・批評家の名前を探しだし、どのような系譜で映画評論・批評がなされてきたか検証した。日本には映画評論・批評を焦点に定めた研究が存在していない。そのため映画評論家・映画批評家とはいったい誰を指しているのかさえわからないという状況であった。現在では「自称」ということで映画評論家・映画批評家を名乗ることも可能であるが、本研究は『キネマ旬報』『記録映画』『映画評論』『映画芸術』『思想の科学』『新日本文学』では誌面発表した映画評論家・映画批評家を対象とし1951年から1970年までの時代に限定した。雑誌、時代を限定することにより、いままで漠然としていた映画評論家・映画批評家の名前を明らかにした。『キネマ旬報』では約16000件、『映画芸術』では約2500件、『映画評論』では約4100件、『記録映画』では約700件、『新日本文学』では約100件、『思想の科学』では約20件と約24000件をデータベース化した。 その約24000件の中から日本映画についての評論・批評を、先行文献『現代映画論大系』(全6巻、冬樹社、1970年~1972年)の分類、1「戦後映画の出発日本占領下から解放」、2「個人と力の回復戦前からの映画監督たちの復活」、3「日本ヌーベルバーグ1950年代後半から1960年代にかけての状況」、4「土着と近代の相剋 日本の家族制度の崩壊」、5「幻想と政治の間50年安保と60年安保の学生運動、そして6「その他」と位置づけ系譜たてをし、戦後の日本映画が問題とした点を明らかにした。
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