中華民国期上海に進出した各地方劇の進出と定着、更に撤退に関する過程を、当時上海で刊行されていた新聞、とりわけ「小報」と称されるタブロイド判新聞掲載の情報を通じて明らかにすることが本研究の課題である。平成22年度は上海近郊の大都市で上海に匹敵する規模の興行界を擁する都市杭州で刊行されていた代表紙『東南日報」(1934-1949によって収集された情報と同時期上海のそれを比較することを通じ、地方劇の上海へ進)のマイクロフィルムを購入し、同紙に掲載の演劇情報や広告を調査した。今後、それによって収集された情報と同時期上海のそれを比較することを通じ、地方劇の上海へ進出・定着状況の特色を考察した結果をまとめたい。その他にも「上海日報』(1938-1943)や「平報」(1940-1945)など日中戦争期の上海で刊行されていた新聞のマイクロフィルムを購入し、同紙に掲載の演劇情報と広告の調査を行った。その一部の成果は、平成22年8月に中国近現代史研究を世界的にリードする台湾の中央研究院近代史研究所にて開催されたワークショップ「小報と都市性」において、「孤島、淪陥時期上海の小報と戯曲」と題して発表した。発表では1930年代に上海に進出した、中国北方を起源とする地方劇「評劇」の進出・定着状況を、小報掲載の情報を基に明らかにしたもので、本研究課題とも関連するものである。更に平成22年度には、日本の新派劇に相当する「文明戯」の上海における終焉に関し、「通俗話劇以後の文明戯-1950年代上海を中心に」と題した論文を発表した。これもまた上海に進出した演劇の終焉を扱うもので本研究課題の一部に属している.最後に海外出張として、平成22年9月10日から19日にかけ、上海の上海市図書館にて同館所蔵の関連資料の調査収集を行った。そこで得られた成果は平成22年度の研究成果にそれぞれ反映されている。
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