本年度は、小田嶽夫『魯迅伝』・竹内好『魯迅』・太宰治『惜別』について読解・分析を行い、包括的な比較・検討を行い、今後の課題を提示した。『魯迅伝』については、6種ある本文の異同を、方法論と併せて分析した。『魯迅』については、その実証主義的なアプローチが、日中戦争期にすでに進行していた、魯迅(像)を様々な面で美化しながら描き出す同時代の動向への批判を含んでいることを明らかにした。『惜別』は、この小説自体が、ある魯迅像を批判しながら、別の魯迅像を描き出すことで、複数の魯迅像が同時に成立することを実践的に示した作品であることを明らかにした。ここまでの成果を総合し、『魯迅伝』・『魯迅』・『惜別』の包括的な比較・分析を行った。魯迅を主題とした3作品は、限られた情報の中で、3人の文学者がそれぞれの立場・条件において描き出した魯迅像である。小田嶽夫は、作家として、中国現代史を併記しながらも、(政治的なスタンスに関して)客観的・中立的に「文学者としての魯迅」を描き、竹内好は中国文学研究者として魯迅に寄り添いながら学問的厳密さをもって「思想家としての魯迅」を描いた。太宰治は、作家として、特に日本留学時代の魯迅をクローズアップすることで、日本という環境を導入しながら、「文学を志す魯迅」を描いた。この時期の魯迅受容は、単にその様相ばかりでなく、そこに関わっていたコードや中国認識をも浮かび上がらせる「装置」でもあった。さらに、本研究を通じて、共時的には「日中戦争期の中国に関する文学的表象」、通時的には「戦後における魯迅受容」という研究課題を見出した。
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