本年度は、植民地支配にまつわる経験を記述した植民地出身者の日本語作品を中心的に検討した。その中でも特に、1930年代の「皇民化政策」の実施下における朝鮮出身者とアイヌ民族出身者のテキストに注目した。朝鮮出身者としては、この時期に日本文壇で活躍した金史良と、朝鮮文壇で活動した李石薫(牧洋)、および金鍾漢のテキストを特に検討した。金史良については、当時の「内鮮一体」をめぐる言説との関わりから紡ぎ出された、朝鮮の独自性を保持するための語りの戦略を、1941年前半期を画期とする二通りの様態において明らかとし、その成果の一端を『比較文学』に発表した。また李石薫(牧洋)と金鍾漢については、1942年を画期とする半島における「国民文学論」の言説を背景としながら、小説と詩という異なるジャンルにおいて、複層的な日本語表現を構築・展開していくプロセスを跡づけることができた。またアイヌ出身者としては、知里幸恵とバチェラー八重子のテキストの検討に着手した。共通する着眼点としては、1930年代にかけて「一国民俗学」の構築を果たす柳田国男の言説との関連に注目した。そして、柳田の口頭伝承論や言語研究の言説から排除された要素を、知里やバチェラーのテキストを理解するための切り口とする視点を確立することができた。これらの分析については、次年度、および次々年度に予定している研究内容と直接の関連性を保つものでもあるため、継続的な検討課題としたい。 また、そのような具体的な検討の一方で、日本の内地出身者が植民地をめぐる体験を表象した日本語テキスト群の包括的検討にも着手し、そこに認められる形式面と内容面での特質の類型化を進めた。この作業についても、次年度以降継続していく。
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