当該年度では、南北朝時代の文化が胎動し始める鎌倉時代後半の両統迭立期に照準を絞った。鎌倉時代後期の宮廷は、政治は掌握できなかったものの、文化的には朝廷の優位が保たれており、王朝文化の残照期であることから、王朝文化の継承と受容の様相とその変化を見るのに適すると考えたためである。当時の持明院統派および京極派和歌の指導者であった伏見院の和歌において、隠逸詠が発生した様相と、王朝文化がどのように継承及び受容されたかを検討した。伏見院の先行研究としては、岩佐美代子氏に院の和歌思想を探るものがあるが、院の細部の和歌表現にまで踏み込んだ研究は未だ行われていない。そのため、伏見院の和歌表現を検討する際には、膨大な数が残り未だ新出資料と和歌が発見される、『伏見院御集』の歌の整理と解釈から再度行ってゆく必要があった。当該研究では、本来の研究実施計画を軌道修正し、まず、伏見院の新出の資料・和歌の整理も行いつつ、細部の和歌表現について逐一検討し、そこから、隠逸詠の発生、王朝文化の受容について明らかにすることとした。その結果、伏見院の和歌に既に従来の隠遁とは性格の異なる、隠逸志向が窺われること、衰退しゆく王朝文化への憧憬が積極的な受容を生んだことを明らかにし得た。この成果の詳細は、諸事情で出版が遅れているが、今年十月出版予定の『コレクション日本歌人選伏見院』(笠間書院)に発表される予定である。
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