本研究は、南北朝期の北朝宮廷である持明院統を基盤とした、京極派和歌の表現を考察の対象とする。本年度は、後期京極派和歌表現における宋代文化の影響、花園院の儒教思想と和歌表現の関係を中心に考察する予定であった。本年では、まず最初に、平成21年度からの研究課題、伏見院の和歌における王朝文化継承の様相と隠逸詠の具体相および同院の和歌思想についての研究成果を、著書『コレクション日本歌人選12 伏見院』にまとめることより始めた。伏見院は、鎌倉後期の天皇であるが、持明院統の権力基盤および京極派和歌思想を築いた人物であり、本研究でのキーパーソンである。平成21年度の研究で、南北朝期の持明統派の天皇、花園院とその宮廷文化が伏見院より受けた影響の大きさが確認されたことにより、本年も、花園院の和歌思想を考察する前に、前期京極派和歌の和歌思想から再確認する必要があった。「歌の家の継承と実践-京極為兼・二条為世を中心に-」(『中世文学と隣接諸学6中世詩歌の本質と連関』pp511-535、竹林舎・平成24(2012)年4月)では、伏見院の盟友かつ京極派和歌の創始者であった京極為兼の思想および和歌観について論じた。そこから得られた結果と照らし合わせながら、今後、花園院の儒教思想および和歌思想の関係について考察する予定である。また、日本史研究を踏まえながら、花園院の宮廷文化の様相、院の思想が記された史料『花園院宸記』を詳細に読み解き、持明院統派宮廷における、禅文化を中心とした宋代文化の流入状況、花園院の儒教思想を明らかにする作業をすすめている。その成果の一部は、花園天皇日記研究会編「『花園天皇日記(花園院宸記)正和二年三月記-訓読と注釈-」に見える通りである。上記の課題の解明は、文化交流史及び日本中世思想の研究においても意義があり、大変重要である。
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