本研究は、戦間期という新しい概念の導入によって同時代のテクスト研究に幅広い視座が開け、また同時に21世紀の英国文学を代表する多数のテクストが、戦間期を舞台に新しいタイプの歴史小説を志向するという興味深い現象が発生している状況において、現代英国文学における戦間期表象の意義を考察することを目的としている。平成22年度に実施した研究の中心は、2001年に出版されたイアン・マキューアンの長編小説『贖罪』をテーマとする論文を完成し、発表することにあった。現在投稿中の本論では、従来の批評で省みられることがなかった、主人公が1935年の冤罪事件の「真犯人」と断定する人物に焦点をあて、主人公の主張の脆弱な論拠を指摘することを試みた。エマニュエル・レヴィナスの倫理哲学等を踏まえた議論の結果、21世紀の英国倫理を代表する人物として注目を浴びる作者マキューアンが抱える他者性へのジレンマを論証することができた。 更にマキューアンと共に現代英国文学の第一人者であるカズオ・イシグロの、やはり戦間期を舞台に過去の「事件」がもたらす影をモチーフとした『わたしたちが孤児だったころ』における、現実と虚構、被害者と加害者の曖味性を検証した英語論文"Consoled by Fantasy : Kazuo Ishiguro's When We Were Orphans"を発表した。これらの論考によって、現代英国の作家たちが自らのテクストにおいて、善と悪の境界の曖昧性という倫理的問題を戦間期表象に反映させている現象を、多層的に裏付けるという成果が達成された。
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