研究概要 |
18世紀フランスの法廷書類である「訴訟趣意書」(memoire judiciaire)を一次資料とすることで、スキャンダル・ジャーナリズムとの関係から、ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau 1712-1778)の『告白』(Confessions, 1782, 1789)に代表される「自己を語るエクリチュール」(ecriture desoi)が啓蒙の時代において成立した過程を検証することを試みた。 自己の過去について語るという行為を見直すための足がかりとして、現段階では、ルソーのデビュー作『学問芸術論』(Discours sur les sciences et les arts, 1750)をめぐる論争の際に書かれた書簡形式の反駁文「グリムへの手紙」(1751年)や「スタニスラス王への手紙」(1752)といった初期作品を重点的に分析している。いわゆる「自伝作品」である『告白』が書かれるだいぶ前から、理論的著作や論争文において、すでに自伝的ディスクールが配置されていた点に着目している。ジャンルを問わず、ルソーの各作品には、ルソーの人生を構成する一つ一つのエピソードがルソー自身によって語られている。これらのエピソードを「自伝素」(autobiographeme)と命名した。例えば、『山からの手紙』という作品は自伝作品ではなくて論争の書である。しかし、そこでは、ルソーがヴェネチア滞在中に占い師に出会ったときのエピソードが語られている。このエピソードは、後の自伝作品『告白』を構成する一つの自伝素である。ルソーの非自伝的諸作品の中に断片的に配置されたこれらの自伝素を可能な限り網羅的に嫡出した。この嫡出作業によって、ヨーロッパで最初の自伝作品である『告白』が生まれたのは宿敵ヴォルテールによる中傷を反駁するためであるという通説を覆すことができるであろう。
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