本研究は、1930~40年代東大の若者を中心とする西洋文化受容について、下記二つの観点から明らかにすることを目指す。1.福永武彦を軸に、昭和初期の東大を中心とした若者の知的つながりを、具体的な人の動きと共に探る。2.そのつながりが戦後の福永文学の生成に果たした意義を考査する。研究1年目の今年度には、本研究の核となる調査活動、資料の収集と購読を行い、3年間の基盤作りができた。まず、1の観点の核となる軽井沢・信濃追分に2009年7月と2010年2月の二度調査に赴いた。堀辰雄文学記念館他の関係機関にて資料閲覧・撮影や学芸員への取材を行い、長野の地縁、今後の取材協力者、福永の蔵書の実情等、自伝研究の射程を定める上での貴重な情報を、広く得た。併せて都内で『校友会雑誌』『映画評論』等の文献探索、仏語卒論の翻訳(本邦初)、縁の地の探索等を進めた。以上の成果が「作品の酵母としての卒業論文-福永武彦"Le Cosmos du poete-le cas Lautreamont"について」(日本比較文学会東京支部例会における研究発表、2009.11)、「<聖なる>響き-福永文学に共鳴するもの-」(『年報・福永武彦の世界』1号、2010.3)である。また、2の観点の核となる広島で、2009年12月に小説『死の島』に関する調査を行い、福永作品と女性文学との接点という新視界を開くことができた。成果の一部は、2010年8月に韓国で開催の国際比較文学会会議(ICLA)で研究発表を行う予定である(本年度中に応募・審査を経て学会の承諾済)。『Cahier』4号に寄稿した女性俳句の仏語選集の書評もこれに関連する。なお、調査で得た資料はその都度データ集積した。次年度は成果公表、諸遺族への取材、戸田の調査等に着手するが、その下準備も本年度中にほぼ終えることができた。
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