筆者は、日本中世禅林における柳宗元の受容について、(1)いずれの中国注釈書及び五山版を利用していたのか、(2)どのように解釈していたのか、(3)消化したものをどのように自身の詩文に詠出していたのか、と三つの領域について研究を深めている。 (1)について、宮内庁に所蔵される『新刊五百家注音弁唐柳先生集』の書き入れに、宋版『唐柳先生文集』を校勘に用いた字の異同が書かれていることが判明した。宋版『唐柳先生文集』は柳宗元作品集の原形とも言える三十三巻で構成されており、現在静嘉堂文庫に残巻が所蔵されているのみである。静嘉堂文庫本との関係、三十三巻本の価値について、本年度の中唐文学会で発表した。書き入れを用いて巻十四がどのような本文であったか、その復元については論文として公表した。 (2)について、両足院に所蔵されている『柳文抄』の影印を臨川書店から刊行した。筆者は解題を担当した。禅僧が中国の何れの注釈書を用いて抄を残していたのか、誰が柳文講抄に携わっていたのか等、『柳文抄』の概要を公表した。また中世禅林における柳文解釈が具体的にどのようなものであったか、「送薛存義之任序」を取り上げて検討した。『柳文抄』は勿論のこと、『古文真宝』の抄も資料に用いた。柳宗元の作品集のみでなく、総集においても柳宗元の受容が存することが判明した。 (3)について、中世禅林のうち、特に後期(応仁の乱頃から室町時代末期まで)の禅僧が、柳宗元をどのように詠じているか調査した。現在、『五山文学全集』『五山文学新集』から柳宗元に関する資料を抽出したところである。 今年度にいたり、『柳文抄』が刊行され、日本中世禅林の柳文解釈が日の目を見るようになった。わずかではあるが、国文学研究と中国文学研究に資することが出来た。
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