筆者は、日本中世禅林における柳宗元の受容について、(1)いずれの中国注釈書及び五山版を利用していたのか、(2)どのように解釈していたのか、(3)消化したものをどのように自身の詩文に詠出していたのか、と三つの領域について研究を深めている。 (1)に関して重点的に研究・論文発表を行った。日本に柳宗元が流布するきっかけとなった版本・宋版『唐柳先生文集』と鈔本・『増広註釈音弁唐柳先生集』について論じた。宋版『唐柳先生文集』は柳宗元作品集の原形とも言える三十三巻で構成されており、現在静嘉堂文庫に残巻が所蔵されているのみであるが、宮内庁に所蔵される『新刊五百家注音弁唐柳先生集』の書き入れに、その校勘が書かれており、どのような特徴を有しているか論じた。鈔本『増広註釈音弁唐柳先生集』は、現在通行している元刻本の本文と較べて異同がある上、他本には見られない序・作品・音註があることが分かった。 中世禅林で五山版として刊行された『新刊五百家註音辯唐柳先生文集』は、これまで四庫全書に所収される宋版『五百家註唐柳先生文集』を底本として刊行されたと認識されていたが、実際には北京図書館に所蔵される『新刊五百家註音辯唐柳先生文集』を底本としており、さらには諸本と校勘して適当と思われる本文に改めた箇所、解釈に必要な『音弁本』の注を引用した箇所が存することが分かった。その原因として、刻工者である学士・兪良甫が優れた柳文注釈書を刊刻しようとしたためだと論じた。また東北大学に所蔵されている五山版『新刊五百家註音辯唐柳先生文集』には、おびただしい書き入れが施されており、その書き入れが両足院蔵『柳文抄』と深い関係にあること、在先希譲・太白真玄・勝剛長柔・希世霊彦・湖月信鏡・萬絮といった著名な禅僧の抄であることを論じた。 (3)に関して後期(応仁の乱頃から室町時代末期まで)における禅僧の詩文集の中に柳宗元に関する事項がどのように詠出されているか検討した。大凡は初期・中期の詠出を継承するものであったが、「寒江獨釣図」に対する賛詩・称揚文は後期になって一段と増えているという特徴が見られた。 「五山文学」を概説するに当たっては、その研究が近年活発になり、孤児的存在ではないこと、「五山」という枠組みが狭義であり、「禅林文学」とすべきではないかということを提案した。
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