平成21年度より4年間にわたり日本および韓国の近代雑誌や新聞等の資料を調査・収集した。2次資料も含め約800点程度である。日本国内は国立国会図書館に、韓国の文献資料は韓国中央図書館(ソウル市)に所蔵されている資料を中心に調査を行った。 21・22年度は主に資料収集が主たる活動内容であった。柳宗悦と廃墟派を中心とする朝鮮人知識人たちとの交流の様子が分かる資料に加えいくつかの回顧録を発見した。ナムグン・ピョク、オ・サンスン、ミン・テウォン、ヨム・サンソプといった韓国近代文学を担った若者やナ・ヘソクといった韓国の新女性との間で柳宗悦との活発な往来の様子が、それらの文献資料から明らかになった。 後半の23・24年度はそれらの文献資料の整理・発表および朝鮮語文献の読解、翻訳作業を進めた。ナムグン・ピョクの当時の日記・評論や雑誌『廃墟』における柳宗悦に対する彼等の認識や、近代を生きた彼等にとっての近代科学や社会思想としての民芸といった概念について、日本国内の有島武郎などの言説も交えながら分析を行った。 24年度は以上の成果発表を行いつつ、当初の研究テーマに付随した新たな問題に対する検討も行った。例えば、オ・サンスンの回顧録などから読み取れる戦後に辿った彼等の過去に対する認識の対照が浮き彫りになり、今後取り組むべき新たなテーマが浮かび上がった。それに連なる形で、戦後の在日朝鮮人作家(立原正秋、李良枝など)の朝鮮芸術に対する認識についても考察を深めた。 また、柳の朝鮮における活動は、人的交流と共に朝鮮芸術(とりわけ工芸美)への価値観の変容を迫るものであった。したがってそれらの戦後における認識の有り様を明らかにすることで柳宗悦の朝鮮論の意義を考察する上で有効である。柳の民芸運動は理想主義的な社会運動であったことを踏まえ、柳と朝鮮社会が芸術的なユートピア思想において連動していたことについても指摘した。
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