今年度の成果は次のようにまとめられる。 (1)漢語歴史語用論的研究における漢訳仏典の利用の試み 筆者はまず「漢語歴時詞彙研究芻議」(口頭発表「第二屆漢語歴時詞彙與語義演變學術研討會」)において、口語的文献資料を用いた漢語文法史の一分野としての歴史語用論研究の重要性を強調し、その資料として早期漢訳仏典言語の利用を試みた。具体的には、中古漢訳仏典にのみ出現するとされる三人称代名詞としての「子」が「+敵対的、排斥的」というニュアンスを付帯することに注目し、元来は二人称・敬称であった「子」という人称名詞が対極の感情的ニュアンスを付帯するにいたる過程、原因について論じた。このような研究が可能なのは、早期漢訳仏典の口語性の高さに負うところが大きいと考えられる。 (2)漢語語彙史研究における漢訳仏典使用の実践 文法史と密接に関わるものに語彙史があるが、この分野でも漢訳仏典言語が重要な資料となることは従来から指摘されている。筆者も、上記口頭発表(「漢語歴時詞彙研究芻議」)において、〈幼児〉〈子供〉といった意味を有する語彙群の意味領域の変遷の過程を、現代方言・古代方言の諸資料を利用しつつ、早期漢訳仏典言語を中古漢語の重要な資料の一つとして利用しつつ記述した。 (3)日本古写本仏典資料利用の試み 論文「『六度集経』言語の口語性について-疑問代詞体系を例として-」は、昨年度台湾で発表した中国語論文のいわば日本語版にあたるものであるが、単に翻訳したものではなく、日本語版の作成にあたっては新たに日本古写本仏典を校勘に利用することを試みた。具体的には、国際仏教学大学院大学所蔵の金剛寺本「六度集経」の複写を同大学図書館の許可を得て入手し、これを校合資料とし利用した。現段階では、当該写本そのものの研究という段階までには至っていないが、今後の日本古写本仏典を用いた本格的な研究のための予備的作業と位置づけられる。
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