英語史に見られる複数の言語変化について語彙拡散(Lexical Diffusion)の視点から記述と説明を与えることを目的とする本研究の趣旨に沿い、本年度は(1)これまで焦点を当ててきた初期中英語期における名詞複数形の歴史的発展を総括し、(2)鍵となりうる説教詩Poema Moraleの言語を文献学的に分析することで、複数形の歴史に具体的な肉付けを施した。また、名詞複数形の他にも広く英語史における語彙拡散の事例を観察するという目的から、形態論と意味論の接点である接尾辞の歴史的拡大について研究を行なった。 (1)については、2009年出版の自著の自己批評により生じた問題(初期中英語期のイングランド南部方言における複数形態の分布の推移)に取り組み、事例の量的な分析により、先に提起していた語彙拡散による説明を補足した。これにより、言語変化のより小さな側面においても語彙拡散による説明が有効であるとの示唆を得ることができた。 (2)の文献学的研究では、Poema Moraleは複数のヴァージョンで現存する数少ない初期中英語テキストの1つであり、その複数形態やその他の形態の分布を文献学的な観点から考察することで、間接的に(1)の語彙拡散の理論的主張に説得力をもたせることが狙いであった。 (3)語彙拡散は形態論以外の言語変化も同様に説明できると見込まれ、形態論が意味論に隣接する接尾辞の問題に注目した。軽蔑的な意味を伴うことの多い接尾辞-ishを取りあげ、その歴史的拡大をOEDからの事例によって跡づけた。語彙拡散が前提とする顕著な拡大期が中英語期にあったことが明らかになり、今後の語彙拡散研究に新たな展望が開かれた。
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