本研究は、「出羽三山修験道の在地浸透とその特質に関する研究」(平成19~20年度)をふまえ、出羽三山修験道とその信仰が近世後期の在地社会に浸透・定着する構造的特質を、本山たる出羽三山と、信仰圏の縁辺部たる関東・信越地方における信仰に基づく社会結合のあり方(心縁結合)の個別具体相から究明した。すなわち、(1)18世紀後半から19世紀前半、出羽三山の一つである湯殿山の別当・行人を中心とする信仰普及活動、(2)関東・信越地方の地域社会における信仰に基づく社会結合形態の解明を目指し、日本近代社会への展望を探ってきた。研究計画最終年度である本年度は、湯殿山木食行者鐵門海の越後国岩船郡(新潟県村上市)における信仰普及の活動とそれを受容した在地社会の情況をさらに深く分析するために、先行研究が重視した縁起ではなく、鐵門海を住持とした出羽国酒田(山形県酒田市)の海向寺に伝来した史料(新出)の整理・分析を進めた。とくに鐵門海とその門弟が近世後期から近代にかけて信仰普及を行った実態、なかでも鐵門海自筆を含む新出史料である海向寺本堂再建勧化に表出する社会結合形態を検討した。その結果、鐵門海は、近世後期酒田の生活・生業の拡がりを背景とする、東北から江戸・越後まで、広域的に布教し、また、町・村・同業者仲間などの諸団体、肝煎・大組頭など村役人層、および女性や新興勢力を含む個人など多様な主体を結縁させたこと、かかる結縁が、既成の修験とは異なる、新たな木食行者による出羽三山信仰を創出させる地域的基盤となったこと、それが近代・現代のいわゆる出羽三山信仰であったこと、を指摘した。日本近代の個人が近世後期の地域社会に析出され、その心縁結合がその宗教的・社会的素地となったことを実証的に解明した。なお、成果の一部は、平成24年2月18日に海向寺主催の講演会「海向寺にいたころの鐵門海-勧化を中心に-」(約300名参加)において講演し、社会還元した。
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