守護創建禅院は従来は、せいぜい郷土史研究の一コマをいろどるに過ぎなかった。しかし、本研究課題を遂行するなかで明らかにした通り、分国内の国菩提寺はまちがいなく、京都と分国をむすぶ、ターミナルの一つであり、室町期の社会を読み解くうえで、重要な検討課題であることが明らかになった。また京都にたてられた京菩提寺には、守護の分国に所領が設定されることに加えて、荘園経営の安定化をもとめる京都の寺社・公家たちが、集い、こちらもやはり都鄙交通の拠点の一つになっていた。 このように、室町期における守護の創建禅院が、この時代の社会構成を考えるための重要な要素であることを明らかにした。あわせて研究を進める際の基礎史料となった京都大学総合博物館所蔵「西山地蔵院文書」についても、写真版と史料翻刻を公刊する作業がほぼ完成し、さらに京菩提寺、国菩提寺に関する概説的成果として、2012年に『室町幕府論』を公刊することもできた。 以上の点を学説史からもまとめると、従来、禅僧の荘園経営の様子が古記録などから指摘されてきたが、本研究課題では、古文書をもとに、その具体相を詳細に解明できた点に特色がある。さらには、禅僧の活動が、単なる一寺院の動向というにとどまらず守護の創建禅院の禅僧という、この時代の政治史の問題とも密接に関わる動きでもあったことが明瞭になった。このことにより、京都と地方の、武家と公家の社会関係を読み解く重要な分析手段として、禅僧の動きをとらえた点に本研究課題の利点があるわけである。
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