今年度も昨年度に引き続き、島根県飯南町の明眼寺文書の整理を進めた。新たに、浄土真宗における「神祗不拝」の宗風の取締りに関する史料を発見するなど、内容把握が進んだ。また、同文書の概要調査については、全体量の半分程度は終えたと考えられる。 また、神道講釈師矢野左倉大夫の経歴、旅の行程等と、特に山陰地方を舞台とした浄土真宗僧侶と左倉太夫との論争の内容を明らかにし、これを論文として発表した。神道講釈師が練成されていく過程や、講釈活動の実態、浄土真宗の僧侶側の矢野左倉太夫の活動への対応についても明らかにした。 さらに、西本願寺学林の能化を務めた功存の『願生帰命弁』を批判した宝厳『興復記』の出版をめぐる京都本屋仲間、本願寺等の対応について検討し、近世における論争からうかがえる仏教諸宗派間の秩序について明らかにした論文を発表した。日本近世においては、諸教・諸宗派の「共存」が前提とされていたが、教えの内容や理解をめぐる対立や論争がなかったわけではなく、むしろ論争書の出版は盛んであったこと、その背景には幕府の方針や本屋仲間の自律性という条件があったことを指摘した。 それから、出雲国における仏教寺院の宗派別分布、寺檀関係の特質、神社・堂舎・小祠等と宗教者とのかかわりについて検討した論文を発表し、寺院の宗派別分布が地域における神社と宗教者との関わりに影響を与えていることを指摘した。出雲国の場合、とくに北西地域においては禅宗寺院の占める率が高いが、こうした地域では寺院が神社の管理に関与せず、神職管理の神社が多いことなどが明らかになった。
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