本研究は、近代国家とりわけ明治国家の建設過程における内務省衛生行政の位置づけ及びその構造を検証することを目的とするものであった。その際、従来のわが国の医学史・衛生史や社会史での議論とは異なり、明治国家や内務省、あるいは官僚達がいかに近代衛生行政を位置づけ、導入を試みたのかといったことの一端を解明するため、初代内務省衛生局長で、近代衛生行政をわが国に紹介したことで知られる長與專齋の衛生行政論を手がかりとしながら研究を進めてきた。 平成21年度は、内務省の衛生行政をより自覚的に理解するために、前近代との連続性と断絶性の視点から接近を試みた。具体的には健康の問題に関する議論において前近代から連続して語られてきている「養生」と長與專齋の近代衛生行政に対する理解を対比的にとらえることとした。「養生」との関係では、江戸期の例えば貝原益軒『養生訓』や明治以降では石黒忠悳『乕列刺病養生の心得』、さらには長與自身が語るところの「自愛心」といった考え方や長與の指摘にもある近代衛生行政で求められるところの「国民一般の健康保護を担当する特殊の行政組織」等に関する考察を行い、明治国家における近代衛生行政創設の意義の一端について考察を進めた。また長與の衛生行政論が実際の内務省衛生行政の中にどのように反映されていったかに関して、文部省から内務省への移管の過程、明治10年代より始まるコレラの流行、内務省衛生事務諮問会の開催、傳染病豫防規則や傳染病豫防法心得書等に配慮しながら、基礎的な考察及び次年度以降につながるような準備を進めることができた。
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