本研究は、近代国家とりわけ明治国家の建設過程における内務省衛生行政の位置づけ及びその構造に接近することを試みるものであり、その際、初代衛生局長で、近代衛生行政をわが国に紹介したことで知られる長與專齋の衛生行政論を手がかりとするものであった。 1871年、岩倉遣外使節団に随行した長與專齋は、米欧における医学教育制度の調査を進める中で、近代衛生行政に気づいた。帰国した長與は、コレラの流行に対処することが求められる一方、近代衛生行政の導入に邁進する中で、地方衛生行政の再編や環境衛生(「衛生工事」)に関心を示し、制度の制定にも関与した。 この研究では、長與や後藤新平、北里柴三郎などの「衛生官僚」に関する講演記録や意見書、同時代文献、あるいは日本および欧州とりわけドイツの衛生行政に関する諸記録、文献の調査・分析にあたることができた。
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